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「岡村靖幸、A、私」

私の最近のツボは岡村靖幸で、最近と言っても岡村ちゃんじたい、ずっと前から活躍してて、「早熟」のアルバムを見て、確か「そめやじゅんいち」さんて人がデザインしてて「私もデザイナーになったろ!!」と思った記憶がある。

 

岡村靖幸自身は、手の届かない存在でありたいらしいけど、気軽に「岡村ちゃん」と呼ばれるにはなんか訳があるんだろ。と思うけど、スーツ、シャツ、ネクタイ、メガネの好きな私から言わせればもう風貌はビジネスマンであり、丸の内で活躍する証券マンとか外資系保健外交とかそんな人が自分で作詞・作曲し、歌い、マイケルとかプリンスとか昔の人に憧れて踊る、というのは私から見たら「元気なサラリーマン」で、そんな人がイケナイコトカイ

とか言いながら自ら作詞・作曲した歌を歌い、感極まって泣く、失礼だがどうしても爆笑してしまう。

 

のみならず、ライブの中盤では赤い薔薇にキスして客席に放る、という、なんていうか「君たちがこんなに僕を愛してくれてるのに、一部の人にしか応えられなくてごめんね」みたいな壮大なナルシズムを発揮して疑わないところとかがツボなのだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=54SUCiUDUVw

 

という事を友人Aに話したら「俺もモチとか投げるよ?」と対抗してくるので「それは家を建てる際の上棟式とかそういう集会でしょ?」と言いつつ岡村ちゃんが泣きながらモチを客席に投げる様を想像してしまっておかしくて「そんな事言ったら私は小豆袋投げるよ、こんど」って、空手の大会でタイム係に抜擢されてしまい、130秒ちょうどに小豆袋が着地するよう投げる、という係でAは「でも雨音ちゃんはあずきバーとか投げそうやん」と言う。

 

あずきバー、どうぞ。お疲れ様ですってまあ確かに私のポジションていうかそういうのは水戸黄門で言ったらうっかり八兵衛で、いいんだけど、大会では決勝はトルコで行われる大きなものだから、ちょっと頑張ろうと思う。しかし。

 

太宰治の「晩年」でのラストシーンは「ダンテ、ボオドレエル、私。」の線がふとい鋼鉄の直線のように思われた。と、あり、ここはなんていうか光が見えたみたいな感じなんだけど、朝、庭が扇型になっており、曰く「この鼻さきに突きつけられた、どうしようもないほど私に似ている残虐無道のポンチ画。」とある。

 

私はこれを読んで涙が出るのだけど、だれも共感してくれず、みんなもっと国語を大事にしたらいいと思う。

 

そして。なぜ「晩年」を引用したのかというと「岡村靖幸、A、私。」の線がふとい鋼鉄の直線のように思われた。からであり、なぜ、と言われてもそれぞれ薔薇、モチ、小豆袋を投げるからではない。それは、「どうしようもないほど私に似ている残虐無道のポンチ画」をそれぞれに孕んでいる点にある。真面目にやればやるほど「ふざけるな」と言われる人種がいるのだ。

 

もしこのブログを読んでいこうかなと思ってくれた人は様々に彩られたポンチ画を目にすることだろう。それでも読んでくれる人が一人でもいたら書くよ。