立浪がうちに来た話

昔、と言っても小学生のころ、書店に行ったら旅の雑誌がいくつかあった。
東京、大阪、京都、福岡、北海道、名古屋…etc.
それらを眺めていて私はピーン!ときたね、ピーン!と。
賢い子だったからね。
 
「名古屋だけ県じゃない!!」
 
正式には愛知県名古屋市なのはたぶん知っていた。
だけど「愛知」という本はなく「名古屋」なのはなにか理由があるはず。そこに気づく私ってさすが。
愛知県の中でも特筆すべき名古屋の事がこの本の中には書いてある、と、難しい言い回しでは考えなかったと思うけど「日本のアツいスポット!それは名古屋なのでは!?あと3文字だしかっこいい」と考え、購入して家で読んでいた。
 
親は「なんで名古屋の本なんか買ってくるんだ!?」と言っていたけどきっと名古屋の魅力をまだ知らないんだろうと思った。名古屋には名古屋城があり、金のしゃちほこがあり、中日ドラゴンズがある。千葉にはない。
 
千葉ロッテマリーンズがあるじゃないか、という人のために念のため書いておくと、あれはもともと「川崎ロッテオリオンズ」だったのであり、川崎球場では当時閑古鳥が鳴いており、客席の段差を利用して流しそうめんをしたりしていたらしい。それはそれで味わいがあるな、と思う。
 
私は早速中日ファンになり「燃えよドラゴンズ」を覚えたり、急にプロ野球に興味を持ったりした。
 
その頃迷い犬が学校の帰りについてきて、うちに上がりこんでお菓子なんか食べるようになった。
当時ペットブームの最初の頃でうちもペットが欲しいと親に言い、私と弟はその犬を飼いたいと言い張った。汚い犬だった。
許可が降りて犬の名前を決める時に私は「立浪がいい」と言った。
名古屋にあるドラゴンズで当時一番活躍していた立浪だからこの犬もすごくなる、みたいな理由だった。
そんな理由が全くわからない弟はまだ名古屋の魅力に気づいていないんだろう、と思ったけど弟はもともと巨人ファンであり、少年野球もやってるくらいだから「そんな事いうなら『篠塚』がいい」となぜか苗字で対抗してきたので「苗字をつけるのはおかしい」と言ったら「立浪も苗字なんですけど〜」とか言ってきた。
 
最終的には今シーズン中日が勝ってるからということで犬は『立浪』と名付けられた。
 
犬の状態を調べるのに動物病院に連れて行ったら、立浪のお腹の中は寄生虫だらけで治療できない、と言われたらしい。
でもそれがどんな意味なのか、わからなかった。
 
ある日立浪は首輪を抜けて逃げた、と言われた。
今まで自由だったから嫌だったのかな、と思った。
弟は泣いていた。
 
今でも弟が帰ってくる時は立浪の話をすることがある。
 
「立浪のお腹に寄生虫がいて…」
「立浪は首輪を外して逃げた…」
など言っていると店内でちょっと振り向かれたりする。
立浪、ちょっとしかうちにいなかったけど、ありがとう。
 
 
 

「岡村靖幸、A、私」

私の最近のツボは岡村靖幸で、最近と言っても岡村ちゃんじたい、ずっと前から活躍してて、「早熟」のアルバムを見て、確か「そめやじゅんいち」さんて人がデザインしてて「私もデザイナーになったろ!!」と思った記憶がある。
 
岡村靖幸自身は、手の届かない存在でありたいらしいけど、気軽に「岡村ちゃん」と呼ばれるにはなんか訳があるんだろ。と思うけど、スーツ、シャツ、ネクタイ、メガネの好きな私から言わせればもう風貌はビジネスマンであり、丸の内で活躍する証券マンとか外資系保健外交とかそんな人が自分で作詞・作曲し、歌い、マイケルとかプリンスとか昔の人に憧れて踊る、というのは私から見たら「元気なサラリーマン」で、そんな人がイケナイコトカイ
とか言いながら自ら作詞・作曲した歌を歌い、感極まって泣く、失礼だがどうしても爆笑してしまう。
 
のみならず、ライブの中盤では赤い薔薇にキスして客席に放る、という、なんていうか「君たちがこんなに僕を愛してくれてるのに、一部の人にしか応えられなくてごめんね」みたいな壮大なナルシズムを発揮して疑わないところとかがツボなのだ。
 
https://www.youtube.com/watch?v=54SUCiUDUVw
 
という事を友人Aに話したら「俺もモチとか投げるよ?」と対抗してくるので「それは家を建てる際の上棟式とかそういう集会でしょ?」と言いつつ岡村ちゃんが泣きながらモチを客席に投げる様を想像してしまっておかしくて「そんな事言ったら私は小豆袋投げるよ、こんど」って、空手の大会でタイム係に抜擢されてしまい、130秒ちょうどに小豆袋が着地するよう投げる、という係でAは「でも雨音ちゃんはあずきバーとか投げそうやん」と言う。
 
あずきバー、どうぞ。お疲れ様ですってまあ確かに私のポジションていうかそういうのは水戸黄門で言ったらうっかり八兵衛で、いいんだけど、大会では決勝はトルコで行われる大きなものだから、ちょっと頑張ろうと思う。しかし。
 
太宰治の「晩年」でのラストシーンは「ダンテ、ボオドレエル、私。」の線がふとい鋼鉄の直線のように思われた。と、あり、ここはなんていうか光が見えたみたいな感じなんだけど、朝、庭が扇型になっており、曰く「この鼻さきに突きつけられた、どうしようもないほど私に似ている残虐無道のポンチ画。」とある。
 
私はこれを読んで涙が出るのだけど、だれも共感してくれず、みんなもっと国語を大事にしたらいいと思う。
 
そして。なぜ「晩年」を引用したのかというと「岡村靖幸、A、私。」の線がふとい鋼鉄の直線のように思われた。からであり、なぜ、と言われてもそれぞれ薔薇、モチ、小豆袋を投げるからではない。それは、「どうしようもないほど私に似ている残虐無道のポンチ画」をそれぞれに孕んでいる点にある。真面目にやればやるほど「ふざけるな」と言われる人種がいるのだ。
 
もしこのブログを読んでいこうかなと思ってくれた人は様々に彩られたポンチ画を目にすることだろう。それでも読んでくれる人が一人でもいたら書くよ。